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2010年12月

2010年12月31日 (金)

今年1年を振り返って

0025_34今年1年はどんな年だったでしょうか?

私にとってこの1年は良い年でした。

大きな出来事は、彼女ができたことと、脱組織ができたことです。

まぁ、前者が後者のきっかけとなったのですが、

今思えば、脱組織も今年急に思い立って始めたわけではありません。

大学進学を決意した10年前から既に脱組織のフラグが立っていたと思います。

そして就職を決意し、普通にサラリーマンを送った日々も、脱組織への助走期間だったのでしょう。

脱組織へ心が傾いた経緯についてもいずれまた懐古しましょう。

恋愛は普通に楽しいです。

一緒においしいカフェに行き、映画を見て、記念日にプレゼントを交換し、

愛情を表現しあう普通のことに幸せを感じます。

仕事について言えば、今年はそこそこ順調でした。

最初は、仕事の責任の重さが精神的プレッシャーとなり、押しつぶされそうでしたが、

周囲の助けもあり、どうにか責任の重さに慣れることができました。

来年への課題は幸せな家庭を築くことです。

では良いお年を。

2010年12月28日 (火)

集会に行かなくなってから

Rakuda_2 集会に行かなくなってから、思ったことは、

精神的に楽になったということです。

それもそのはずです。

日曜日に昼まで眠れるというのは、平日仕事で精神をすり減らしている

サラリーマンにとって大きな安らぎです。

また、集会の日に残業しないために、仕事を調整することも必要なくなりました。

もし、集会が楽しければ、孤独にさいなまれたりしていたのでしょうが、

とにかく奉仕という話を延々と聞かされ、サラリーマンをしていることをとやかく言われる

集会は精神的重荷になっていたことでしょう。

やはり、集会というものは、社会的な責任をたいして負っていない、

主婦や、フリーターが「私たちは神のご意志を学んでいるんだ」と思って、

自尊心を満足させる場なんだろなと改めて感じました。

2010年12月26日 (日)

狂信的な開拓者

Juu_3 私は、大学生のとき、たまに補助開拓をとらえたりしていたため、

大学生のエホバの証人としては模範的と思われていました。

そして、会衆で一番狂信的、ゲフンゲフンいや熱心な開拓者である森本姉妹と、仲良くさせてもらっていました。

というか、自分から近づいていました。

実はその姉妹の娘が宮崎あおい似の美人で、私は、その子が好きだったのです。

だからこそ、エホバの証人として大学生時代に頑張れたのかもしれません。

森本姉妹とは、よく一緒に奉仕したり、集会後に話をしたり、割り当ての相談をしたり

していました。

また、食事招待されたこともありました。

その姉妹の口癖は

「もうすぐ終わりが来るのよ。エホバのご意志を行わないと」

「結婚とか、子育ては、楽園に入ってからでいいの、もう終わりはそこまで来てるのよ

若いときをエホバのご意志を行うために用いないと」

「仕事は、自分が食べていけるくらいでいいのよ」

「必要なものはエホバが備えてくださるからいい仕事に就くために時間を取られるべきではないわ」

というものでした。

戦中の

「欲しがりません、勝つまでは」

「ぜいたくは敵だ」

という標語を現代のエホバの証人にアレンジしたものでしょうか?

当時は、言えませんでしたが、また、言っても無用なトラブルの元なので今も言いませんが、

「一流企業に勤めている夫の庇護の下にあるから好き放題いえるんだろ、コラ」

って思います。

実際、エホバの証人活動ゆえに離婚に至って経済的に独りで苦労している姉妹は、

そんなこと言って来なかったですし。

2010年12月24日 (金)

禁じられたことその8 ~クリスマス~

Prezent 今日はクリスマスイブですね。

クリスマスよりイブが盛り上がることこそ、日本では元来の意味とは違った日になっている証拠でしょう。

実際、キリストの誕生日という一般的な意味も知らない人が多いです。

中には、キリストの結婚記念日という人もいました。

今晩は、日本が1年の中で最も揺れ、鳴り響く夜となるでしょうから、

そう思う人がいるのももっともなことでしょう。

私も、その喜びにあずかれることをサタンに感謝しなければいけません(*´v゚*)ゞ

さて、本題ですが、エホバの証人はクリスマスが異教の祭りに由来しているからという理由で祝いません。

そのため、当然のことながら、子供の頃にクリスマスプレゼントというものをもらったことがありません。

小学校のときは、友達が、クリスマスにもらったものを喜びながら話し合っているのを

寂しく聞いているだけでした。

あと、学校でクリスマス会というプレゼントを交換し合うイベントにも参加できませんでした。

プレゼントを用意できずに、怒られていたはみ出し者と一緒になって、寂しい思いをしていました。

普通にクリスマスを楽しめる今となっては、単なる懐古話となりましたが、当時は相当

心に負担がかかっていたと思います。

今は、お財布に負担がかかっていますが( ̄Д ̄;;

2010年12月22日 (水)

禁じられたことその7 ~週刊少年ジャンプ~

Jamp 小学生高学年になる頃、友達の影響でジャンプを借りて読むようになりました。

コンサバな母は、ジャンプというか漫画自体を快く思ってなかったようで、

その時、私の研究司会者であった金田兄弟に相談しました。

金田兄弟から、

「ジャンプは暴力、不道徳、心霊術の塊なので、エホバに喜ばれません」

と注意されました。

今であれば、旧約聖書の記述を漫画化すると、同じようになるじゃんwww

と一蹴ですが、当時も、そんな感じで罪悪感は感じませんでした。

そういうわけで、こっそりと、ばれないように、ジャンプを読むようになりました。

しかしながら、こっそりと急に部屋に母が入ってきて摘発することもあり、

ジャンプを読んでることがばれたときには、公開講演より長い説教をされました。

「認識がたりない。認識が足りない」と。

なんだかタリバンが娯楽禁止とした感じも判るような気がします。

2010年12月20日 (月)

脱JWについて母親への説明

帰省して、エホバの証人としての活動を停止することを母親に言いました。

以前の記事を理由として、集会や奉仕への参加を止めることを説明しました。

母親は

「人につまづいてはだめ、エホバは組織を用いて救われるのよ。」

と、人ではなく組織を見るように言いました。

私は、

「組織ってどういう意味だか分かる?」

とききました。母親が返答に窮しているようだったので、

「人の集まりを組織というんだよ」言いました。

そして、

「だから人=組織なんだよ、ましてや長老ならなおさらだよ」

といいました。

さらに、

「エホバがこの組織を用いて救われるって何で思うの?」と言いました。

母親は

「出版物とか色々見たら分かるのよ」と言いました。

そこで、私は

「じゃあ、色々分かったことを説明してみて?」と言いました。

母親が説明できずにいたので、

「説明できないでしょ?皆その程度のレベルで、集会や奉仕をしてエホバのご意志を行った気になっているのよ。」

「そういう低いレベルの集団をエホバが救われるなら、たとえそのレベルの低さに嫌気が差して、集会や奉仕に行かなくてもエホバは分かってくれると思うよ」

と言いました。

結果、

「そうねぇ~。」ということになりました。

とりあえず、母親との関係は悪化せずに済みそうです。

まぁ、今では年賀状を出すくらい世俗的になった母親なので、それで済んだのかもしれません。

これが狂信開拓者とかだったら、面倒なことになるんだろなと思います。

まぁ結果オーライということで。

2010年12月17日 (金)

禁じられたことその6 ~校歌斉唱~

Piano 小学校、中学校、高校と、校歌を歌う機会は数多くありました。

入学式から始まって、音楽の授業、終業式、始業式、卒業式、運動会

といった行事の度に校歌は歌われました。

しかし、「校歌は学校を賛美する歌であるため、エホバだけを賛美するエホバの証人は歌えない」

という理由で、禁止されました。

当時は、そうだ、そうだ!校歌を歌うのはとんでもない!

と思っていました。

今、思えば、校歌は学校を賛美する歌ではなく、単に学校を代表する歌であり、

イメージソングのようなものなので、全然問題ないのではないかと思います。

校歌を歌うことが禁止されたことで、一番つらかったのは音楽の授業です。

小学校のあるとき、宗教に理解がない音楽の熱心な先生が、

歌えない人は、歌えるまで練習という方針をとったため、

同級生と先生にせめられつつ、内心「エホバごめんなさい」と思いつつ、

消えそうな声で歌って、

どうにか、許してもらったということがありました。

子供にとって、皆と違うことをするのは、とてもプレッシャーになることでした。

周りから見れば、単にサボっているだけですし。

2010年12月15日 (水)

禁じられたことその5 ~キャンプファイヤー~

Fire 小学生の時、宿泊訓練でキャンプファイヤーがありました。

しかし、キャンプファイヤーは火の神への崇拝行為ということで、

私の参加は禁止されました。

その場にいるのも禁止ということで、建物の中で待機ということになりました。

クラスでのキャンプファイヤーでの出し物は、その年に起こったニュースを数人づつが、交互に演じていくというものでした。

私は司会進行で、冗談交じりに進めていく係りでしたので、「亮ちゃんが、いないと困る」

という感じでした。

私も、キャンプファイヤーができないことを寂しく思いました。

中学生のときも、キャンプファイヤーがありましたが、その時は、

キャンプファイヤーに参加しても崇拝行為をしなければOKということになり、

参加できました。

そのときも、司会進行係りでしたが、とても楽しかった記憶があります。

やっぱり、学生の間は、皆でワイワイやるのが楽しいものです。

それを制限したエホバの証人のルール、もっと言えば親の強制は今でもうらみになっています。

私も親となったときには、むやみに強制しないという点で、反面教師としたいものです。

2010年12月13日 (月)

禁じられたことその4 ~騎馬戦(小学校)~

Kibasen 私の通っていた小学校では、5、6年生による騎馬戦が運動会で行われていました。

5年生のときは、司会進行係りをやることにより、騎馬戦に出場できなくなったため、

証言する必要もなく、競技中に、寂しい思いをすることもありませんでした。

しかし、6年生のときは、司会進行係りになることができず、先生に騎馬戦ができないことを証言しなければなりませんでした。

家庭訪問のときに、親がエホバの証人であるため、できないことを言っていたので、

「先生、少しお話があります。戦いですので、騎馬戦ができません」

「あい、分かった。」

そんな感じのやりとりですみました。

その後、騎馬戦の組を決めるとき、「諸葛を上にしよーぜ」とクラスで盛り上がったが、

「諸葛は騎馬戦できんのや」と先生が言ってくれました。

友達は「なんで~」と聞いてきましたが、「秘密や」と答えていました。

学校に私しかエホバの証人がいなくてある意味楽でした。

騎馬戦の練習中に、骨折して見学中の友達と遊んだりしていたら、

「宗教やっている人がそんな態度でいいのか?」と他のクラスの先生に言われました。

また、騎馬戦がプログラム上、「たぬきポンポコ合戦」という名前だから、

騎馬戦ではないため、参加してもいいのではないかと言われたりもしました。

若い先生の勇み足でしたが、当時は「そんなこと言われても」状態でした。

今、担当教師として私が隣にいれば、自分の意志といっても、所詮は小学生、

親に言われてやってるんやとたしなめるでしょう。

小学生の信仰心なんて、所詮はその程で、自分の意志でなんてことは、ありえないと思います。

2010年12月10日 (金)

ボーナス

Photo 今日は冬のボーナスの支給日でした(・∀・)。

半年の苦労が報われたって感じですね~。

額は決して多くも安くもない金額ですが、

転職前の2倍にアップです。

前の会社は、はっきりいってクソでした。

このランクアップはまさに、箴言30:8,9の祈りによって与えられたものです。

集会に行くことを辞めた私に過分のご親切を示される

エホバに感謝しなければいけません(;´Д`A ```

とはいえ、エホバの証人社会では、

ボーナスが出るサラリーマンをやっていると

贅沢な暮らしを追い求めているだとか、

物質的だとか、この世的だと、なんだかんだいちゃもんをつけられます。

ただでさえ、仕事で疲れているのに、さらに疲れさせる仕打ちです。

集会に行かなくなったのも、エホバから見て納得できることだったでしょう。

たかだか年収400万のサラリーマンが贅沢なんてできるわけなかろう?

貧乏生活のお前ら、そんなに普通の暮らしがうらやましいのか( ゚д゚)、ペッ

と言ってやりたいところです。

2010年12月 8日 (水)

禁じられたことその3 ~年賀状~

Photo_2 エホバの証人は祝祭日を祝うことが禁止されています。

なぜなら、異教の行事が由来になっているからです。

正月も由来は歳神様を迎え、その年の豊作を祈る「神祭り」ですので、当然禁止でした。

そして、年賀状も正月を祝うことになるからという理由で禁止されていました。

小・中学校では、まだ携帯が普及してないこともあって、友達から年賀状が来るということが当然のことでした。

しかし、年賀状を返すことが禁じられていました。

今であれば母親にばれないよう、こっそり出すでしょうが、当時は、母親の言うことが

絶対であり、またエホバが見ていてハルマゲドンの裁きの材料にするという信仰も

ありましたので、年賀状は出しませんでした。

社会人になってからは、年賀状は単なる挨拶と思っていますので、出しています。

携帯を持ち出してからも、年賀状じゃないからいいと思い、年賀メールを出していました。

しかしながら、「明けましておめでとう」という挨拶が

「サタンの世が今年も続いておめでとう」という意味になるので言ってはだめだ、という人もいました。

それは単なるいちゃもんだと思います。

「結婚記念日おめでとう」を「サタンの世が結婚記念日まで続いておめでとう」と

解釈するようなものだからです。

そうやって、何かと規則を作りたがる人が多かったけれど、日本独自仕様なのでしょう。

2010年12月 6日 (月)

禁じられたことその2  ~誕生日祝い~

Photo 私が幼稚園、小学校の頃は、市営住宅に住んでいました。

当時、同じくらいの年齢の子供が多く、誕生日会に呼ばれることもありました。

「今度の日曜日、俺の誕生日会をするんだ、諸葛君も祝ってよ」

「いや・・・俺のところは親が誕生日を祝ってはだめだって言うんだ」

「大丈夫。俺が説得してやるよ。」

こんな会話になることもありました。

その友達の親を通じて、私の親に話が行くのですが、親は断っていました。

つらく、さみしい、想いをしたひとコマでした・・・。

誕生日が非聖書的な理由は

・ファラオの誕生日に、パン焼き職人が殺された

・ヘロデの誕生日にバブテストのヨハネが殺された。

という理由で、エホバは誕生日を好ましく思ってないことが判る。

というものでした。

今思えば、単なるこじつけじゃねぇ?という感じです。

組織が信者の子供を一般社会から隔離して組織でしかやっていけないようにするための、

方策と思ってしまいます。

誕生日プレゼントに何をもらった~?と友達に聞かれたときには悲しくなりました。

自分の子供の誕生日は、子供が生まれたことを、喜んで祝おうと思います。

2010年12月 3日 (金)

さらば組織 ~意外とこの日は早く来た~

18_2  先日、集会の後に、難しい人である長老から、

「諸葛君、仕事が忙しいからと言って、水曜の集会に来たり、来なかったりするね。

 研究生がそれを見て真似したらいけないから、きちんと来なさい」

と言われました。それに対して、

「聖書のここに、イエスは安息日毎に、集会で教えたとあるから、

日曜日に行けばいいではないですか。

そのうち週3の集会が週2になったように日曜日だけの週1になりますよ。」

と答えました。すると、

「それは世の人がいうことだよ。背教だよ。私もシャープにいた頃、夜の集会に出席できないから、

仕事を辞めることにしたら、親にそう言われて反対されたよ。

でもあのシャープを辞めたんだよ。

諸葛君も、仕事辞めて集会に来るか、背教者になるか選びなさい!

集会を100%支持しないのは背教者だよ!」

と言われました。

これで、集会に行かなくなったとしても、親に対しては

「長老から背教者扱いされたくないなら来るなと言われた」という理由が立ちます。

スケープゴートは荒野に放たれました。

20年以上、私を縛ってきた組織、今こそ、さらば。

2010年12月 1日 (水)

禁じられたことその1  ~入場行進(小学校)~

Photo_3 幼稚園の時は、母がまだバブテスマを受けていなかったため、騎馬戦や、七夕などの行事を幼稚園で楽しむことができました。

小学生になると、エホバの証人であるがゆえに、できないことが多々でてきました。

何ができないかはブロッシュアーの「学校とエホバの証人」で具体的に示唆されていました。

そのうちのひとつが運動会での入場行進でした。

1年に1回の一大イベントの運動会で、一団とならなければいけない入場行進ができないのです。

それを先生に証言することが、大きな緊張を伴うイベントでした。

小学生1年生の子が自分の言葉でと親に言われ、入場行進ができない理由を説明するのです。

今考えると、すごい精神力を要することです。

親が言ったことが絶対だと考えていた子供だからできたことでしょう。

また、エホバが天から見ていて、ハルマゲドンの裁きの材料にすると思い込まされていたからできたのでしょう。

入場行進は旗に忠誠を誓うので、エホバだけに忠誠を誓うエホバの証人の私にはできませんという理由でした。

練習は、旗がないなら参加してもOKとでした。

ただ、予行練習や、本番のときは、運動場の隅で待機していました。

時々、事情を知らない先生に訳を聞かれることがありましたが、年上の子が答えていました。

つらい時間ではありましたが、何人か仲間がいましたので、どうにか耐えられました。

今思えば、入場行進の意味合いはアメリカと日本で違うのではないかと思います。

アメリカでの教えを日本にうまくローカライズできなかっただけではと疑問に思います。

今でも2世は入場行進を避けるように教えられているのでしょうか?

もう小さい子がいないから分からないけど、教えは変わってないだろうなぁと思います。

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