あの組織で経験したことがその後に生きた?
エホバの証人組織で過ごしたことで、プレゼン能力が身についたとか、コミュニケーションスキルが身に付いたとか、いう非常に前向きな意見を、とあるブログで見つけた。
確かに、プレゼン能力については、「どうやって習得したの?」と聞かれたり、大学教授並と称賛されたりすることがあった。また、卒論を学会で発表したときに若手優秀賞というものをもらった。
コミュニケーションスキルについても、楽々と再婚できた理由が「話してて楽しかったから」というものだったので、それなりにあるだろう。
神権宣教学校に入ったのは、小6の終わりだった。あの頃は今と違って、聖書の朗読を挟んで話を組立てなければいけなかった。文章を書くのが超苦手だった私にとっては、相当の苦しみだった。毎回憂鬱な気分で、親に殴られながら、何とか仕上げてた。
そんな、ある日、いつものように割り当てを作っていると、指が勝手にキーボードを叩いて、原稿が仕上がった。それは第4の割当で主題だけが決まっており、5分の話を自由に作るものだった。集会が終わった後、帰るまでずーと、割り当てのお礼を言いに来る人がいて、まるで巡回監督の公開講演後のようだった。
その頃、注解も、自由自在に、することができるようになり、深い注解をしたいなら諸葛君のをお手本にして見たら?と長老がアドバイスするようになっていた。
割り当てにしても、ものみの塔などをコピペした面白くないものを作る人が多かったり、注解にしても、ものみの塔に書いてあることを読む人が大多数の中、書いてあることを消化して自分の言葉で、割り当てや注解ができる人は、特に若者にはほぼいなかった。
そういうわけで、プレゼンスキルは大いに高まったが、はっきりいって宝の持ち腐れであった。
プレゼンしたのは、新人研修と、若手技術発表会の2回しかない。技術系公務員なので、プレゼンなんてしない。たまに、地元説明会なんてものがあるが、それは班長の仕事である。
結局、エホバの証人組織では、100人以上の聴衆の前で話をするとかいう特異な経験をしてプレゼンスキルは、もともと超苦手であった割には、高くなったが、そんなものは、ないよりあった方がいいレベル。
コミュニケーションスキルなんてものは、人と接しているうちに自然と身に付くもの。世の人を避けるという方針のマイナスと、エホバの証人組織で色々な人と接したというプラスのどちらが大きいか良くわからない。
ただ、エホバの証人組織での常識が、この世では著しく非常識ということを知ったことで、常識を疑う、もっと言えば、与えられた選択肢以外のことを考えるという視点が肌感覚で理解できた。しかし、これも、注意しないと皮肉っぽくなるだけである。
エホバの証人組織に費やした20年という時間は、どう考えても他のことに振り分けた方がいい時間であった。
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