テレビゲーム

2011年5月 4日 (水)

ゲームボーイその2 ~ポケモン赤・緑~

Aka 中学生のとき、初代ポケットモンスターが発売されました。

累計1000万本以上を達成したヒット作です。

私も熱中し、マップの隅々まで探索したり、全種類集めたり、

ミュウツーを6匹集めたり、プレイ時間100時間越えたりしました。

友達と対戦したり、楽しかったのですが、その当時はゲームボーイが禁止されており、

こっそりと楽しんでいました。

ある日、ポケットモンスターをしていることが母親の知るところとなり、

「モンスターは悪魔よ」と悪魔が取り付いたように叫んだ母親が捨てました。

まぁ、こっそり拾ったりしたわけですが、後日、続編が発売されました。

その頃には、そんなにゲームが楽しくない年頃になりました。

まぁいずれにせよ、子供が楽しいと思っているものを強制的にとりあげるのは

よくないと振り返ってみても思います。

一応最近、発売されたブラック、ホワイトもやりましたが、やはりゲームはゲームで熱中するほどのものではないと思いました。

2011年3月22日 (火)

ゲームボーイその1 ~6つの金貨~

Images_2 以前の記事の続きですが、ファミコンが壊れた後、いとこが遊びに来たとき、

いとこはゲームボーイを持ってきました。小学5年生のことです。

そこで、ゲームボーイが欲しいと母親にねだり、何かのポイントシールがたまっていたので、

ゲームボーイとそのソフトであるスーパーマリオランド2 ~6つの金貨~を交換してもらいました。

当時の私の資力では他のソフトを買う余裕がなかったので、6つの金貨をやりこみました。

隠しステージ、隠しアイテム、ちょっとしたバグを見つけて楽しんでいました。

小学生の私にとっては、最後の、ワリオが待ち構えている城の攻略の難易度が高かったです。

スーパーマリオランドもワリオランドも後に遊びましたが、一番記憶に残っているのが

最初に手に入れた6つの金貨です。

2010年10月28日 (木)

ファミコンその3(ラスト)

250pxfamicom_2

鈴木兄弟によって禁止されたファミコンであるが、その頃、多くの母親たちは、ファミコンに対して否定的な考えがあり、ファミコン禁止の家は多くありました。両親が共働きでファミコンOKな家は絶好のたまり場でした。

そういうこともあり、年齢があがるにつれ、ファミコンをやりたいという気持ちは高まるばかりでした。特に、ドラクエなどが爆発的にヒットしたこともあり、学校で話題になっていたため、ファミコンをしたくなりました。
そんな中、正月や、お盆に祖母の家に遊びに行ったとき、いとこがファミコンをしていました。
また逆にいとこが遊びに来たときは、ファミコンをすることができました。
そういうわけで、僕もファミコンしたいと母にねだり、ファミコンが再度出来るようになりました。

母は「悪い影響を受けた」と言ってましたが、もともとファミコンをしたかっただけです。
このころ、鈴木兄弟が引っ越していなくなっていたのもファミコンができるようになった大きな要因に違いありません。
やはり、この会衆は、長老によって雰囲気が変わるものだなぁと振り返ってみて思います。
そんなわけで、ファミコン解禁となり、ドラクエで遊んだりしたのですが、小学校5年くらいのときに、ファミコンが壊れてしまい、ゲームできなくなりました。
その頃、世の中にはスーパーファミコンもとっくにでており、ゲームボーイも流行していました。
そういうことで、私のTVゲーム人生は、ファミコンから、ゲームボーイへと移行するのことになりました。

その話は後ほど。

2010年10月26日 (火)

ファミコンその2

「鈴木兄弟(主宰監督長老)がファミコンはよくないっていったから禁止よ」という母の一言でファミコンは禁止となりました。
「くっそ~鈴木Bめ余計なことを言いやがって」とそのときは思いました。
しかし、鈴木Bが余計なことを言ったというよりも、ファミコンを止めさせたかった母が長老の威を借りて禁止にしたのでしょう。
「ファミコンの何が楽しいの?」と聞いてきたりしましたし。
そういうわけで、ファミコンは小学生1年生のときから3年間くらい禁止となりました。
この3年間は、学校でも、集会でも、適応できなく、母を悩ませる日々となるのでした。
きっとファミコン中止の悪影響でしょう。

子供がやりたい事を、頭ごなしに禁止するとそのひずみがどこかで出るので、私も親となったときには気をつけなければならないと思いました。

2010年10月23日 (土)

ファミリーコンピューター

私が生まれてほどなく、ファミリーコンピューター略してファミコンが発売されました。
爆発的なヒット商品となったファミコンは私の家にもありました。ファミコンが来た経緯はよく覚えていませんが、多分私が、友達の家で見てねだったのでしょう。
その頃はファミコンに対する組織の見解もなく、いや、母親がまだ研究生の段階であったため、普通にファミコンで遊ぶことができました。
とはいえ、その頃の一般的な主婦の考えと同じく、「雨で外で遊べない日」「土日に1時間」というのがルールでした。

普段は公園に行けば友達がいたので、おにごっこ、かくれんぼ、砂遊びといった、子供らしい遊びをしていました。
そういうわけでファミコンは特別な遊びということで、楽しみ中の楽しみでした。
スーパーマリオブラザーズと3もプレイしましたが、当時の技能では最後のクッパまでたどり着けませんでした。
全面クリアしたのは、大学生になって、再びテレビゲームが出来るようになってからのことです。

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